空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか? ドローンを制する者は、世界を制す (高城剛 著)を読みました

 

空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか? ドローンを制する者は、世界を制す

空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか? ドローンを制する者は、世界を制す

 

 

ドローンは大きく2つに分かれている

1.インターネットの延長にないドローン
空撮に使っているもの。

2.インターネットの延長にあるドローン
ドローン時代のヤフーやグーグルが産まれる。現実世界のサーチエンジンと呼ばれるものになる。

インターネットに繋がってないコンピュータと繋がっているコンピュータには大きな差がある。が、ほとんど多くの人間にとってドローンの現在の価値は前者のインターネットの延長性の無いドローンである。ドローンがインターネットと繋がる時代になるとドローンは自律型で動き出し新しいサービスが産まれる。
空飛ぶスマホのようなものにもなる。

ちょうど昨日投資先マクロスペース 中ノ瀬 翔さんに50,000円くらいのセルフィドローンの話を教えて貰って、ドローンのプラットフォームでのアプリケーションが今後どうなって行くかもっと考えるべきと感じていたのでこの本は良さそうに思いました。

 

ちなみにセルフィードローンのDOBBYはこちら

www.youtube.com

 

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Appleに30億ドルで買収されたオーディオメーカーBeats共同創業者 Jimmy Iovine (ジミー・アイオヴィン)

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引用:アップルを説得させた言葉。ジミー・アイオヴィンが語るBeats買収のウラ話、「音楽に穴が開いている」 | All Digital Music

 

2014年、Appleに30億ドルという額で、買収されたBeats。その2人の創業者は、音楽業界では知らない者はいない言われるほどのカリスマだった。現在、Appleの幹部も務めAppleの新しい音楽体験の大立者であり、Apple musicにも貢献した、ジミー・アイオヴィンについて触れる。

 

ジョン・レノンのお茶汲みから始まった下積み時代

1953年、ニューヨークで生まれ、ニューヨークのショー業界に簡単に飛び込める環境で育った。そして、19歳の頃、縁があって、レコードスタジオで働き始める。

 ジミー・アイオヴィンの経歴、はこれまでのシリコンバレーの大物たちと違ってプログラミングやコンピュータエンジニアリングの背景ではない。ニューヨーク市のレコードスタジオの床拭きやジョン・レノンのお茶汲みから始まっている。

 

白人ラッパーをスーパーラッパーとしてプロデュースして世界的ヒット

レコードスタジオなどを通じて経験を積み、18年の年月を経て、才能を聴き分ける卓越した耳をものにした彼は、37歳で自らのレコード会社をつくる。ジミー・アイオヴィンが音楽業界で一躍有名になるのは1990年に設立したインタースコープ・レコードだ。黒人ではなく白人のエミネムというスーパー・ラッパーの売り出しに成功する。その後2パック50セントを始めとする一大ラッパー帝国を築く。ポップスではレディー・ガガで大成功を収める。そうして、彼は音楽業界のカリスマプロデューサーとして名を馳せるようになったのである。

 

ヘッドホンと音楽ストリーミングサービスを提供するBeats創業からAppleによる買収へ

その後、海賊版の流通や質の低いオーディオ機器について問題意識を抱いた彼は、55歳になったとき、DJとして世界的に有名になっていたドクター・ドレとともに、Beatsを創業。Beatsは、ヘッドホンを始めとしたハードウェアとBeats musicという音楽ストリーミングサービスを提供する会社である。

レディー・ガガやレブロン・ジェームズといった有名人を起用したマーケティングによって、Beatsのヘッドホンは一気に若者に浸透していった。そして、2014年、Appleによって、Beatsは30億ドルという金額で、買収されることとなった。

アイオヴィンはスティーブ・ジョブズに対して、定額制音楽サーヴィスの必要性をSpotifyやPandoraが今の様な一大勢力を築くはるか以前の2003年に訴えかけていた人物でもあり、その意味ではデジタル音楽サーヴィスに対して先進的な考えを持っています。ジミー・アイオヴィンはその音楽業界における30年以上に渡る功績が称えられ、GQから「Men of the Year」アワードが贈られた。

買収によりAppleの幹部になったが、同じ年の2014年に世界最大のイベント・プロモーション会社「ライブ・ネイション」の取締役にも就任した。ジミー・アイオヴィンは、60歳を超えている。しかし、これからも、起業家としてのビジネスの才覚とカリスマ性を伴ったマーケティングの能力で、音楽業界を牽引していく存在だろう。

 

参照

アップルを説得させた言葉。ジミー・アイオヴィンが語るBeats買収のウラ話、「音楽に穴が開いている」 | All Digital Music

Jimmy Iovine とは何者か | maclalala2

Jimmy Iovine's life and career - Business Insider

電話の生みの親 Alexander Graham Bell (アレクサンダー・グラハム・ベル)

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アメリカの通信会社AT&Tの前身であるベル研究所の創設者グラハム・ベル

 アメリカの通信会社AT&Tの前身であるベル研究所は、電波望遠鏡、トランジスタ、情報理論、C言語など現在のテクノロジーの礎となる研究開発を行ってきた。その創設者であり、電話の発明者と言われるグラハム・ベル。

 

スコットランド エディンバラに産まれ少年時代からの発明家

 1847年にスコットランドのエディンバラで生まれたからは、幼いころから非常に好奇心旺盛な子であった。

ベルが最初の発明を思いついたのは学校時代のことだった。クラスメートのひとりの父親が大きな製粉所を所有していた。ある日、その友だちとふたりで製粉所を走りまわって騒いでいると、その父親から事務所に来なさいと言われた。友人の父親は、人のじゃまをするのではなく役に立つことをするようけしかけ、小麦の殻をむく方法を考えたらどうかと提案した。

製粉所をうろうろしていたときに使われていない機械を見かけたことを思い出した。あの機械のなかにはブラシつきの回転へらがあるから、それを使って殻をむけばいいんじゃないだろうか? 試しにやってみた少年達は、まもなく製粉所のオーナーにきれいにむかれた小麦を鼻高々に見せた。

 

 電話の誕生は母の聴覚障害と父の弁論研究・読唇術の発明に起因する

ベルが12歳のとき、母の聴覚障害が徐々に進行し始めたことと、父が弁論術の研究者で読唇術の発明者だったことが影響し、音響学に夢中になる。やがて、音声学方面からのアプローチから「多重電信」開発へ傾倒していき、その中で電話のアイデアを得る。

それから大学を卒業し、電話開発に熱中し始めた彼は、29歳のとき、特許明細書を提出する。発明後、トーマス・エジソンとエリシャ・グレイという二人の発明家と熾烈な特許争いが起きたが、一番早くに特許を取得することができていたために、ベルは「電話の生みの親」として世界的に有名になることになったのである。 

 

豊かな創造性と電話以外の発明の豊富なアイデア

ベルといえば電話だが、彼の興味の範囲はもっと幅広く。ベルの業績は「科学全体にまたがって」おり、しばしば貪欲に新たな興味ある領域を捜すため百科事典を読みながら眠りについたという。その発明の才の範囲は、単独で取得した18の特許と連名で取得した12の特許である程度表されているベルの発明は彼の興味の範囲を表しており、

・呼吸を補助する金属ジャケット

・難聴を検出する聴力計

・氷山の位置を特定する機器

・海水から塩を分離する研究

・代替燃料についての研究

などがある。

 

好奇心の旺盛さ、これが発明家、すなわち、新しい何かを生み出すことができる人になるために、最も必要な資質なのである。

 

 引用

アレクサンダー・グラハム・ベル - Wikipedia

Effectiveness.jp | 古典に学ぶタイム・マネジメント 第36回 グラハム・ベルに学ぶ